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今年も半分が過ぎようとしている。活動的なほうではない自分だが、今年は5月まで、稽古、本番を繰り返してきて、はて6月にぱたり毎夜、毎夜、仕事が終わり、家に帰り、ご飯を作る日々に戻ってみると、ひとり、黙々と生活していた。お金があれば、どこかに行ったり、温泉行ったり、買い物したり、人と遊んだりして気がまぎれるものを、気を紛らわすことなく、黙々と、歩いたり、銭湯に歩いたり、傘をささずに歩いたり、酒によって歩いたり、どんなに歩いても、やはり黙々と下を向いて歩いていたりしてもお金は見つからなかった。夏を迎える前に、すでに我が部屋は湿度、温度、ともに、高く、快適さはない。部屋の電気をつけると、さらに暑さと不快さが増す気がして、極力、台所の灯りだけですごすようにしている。人に借りたり、図書館から借りてきた本を読み、ビールも発泡酒を1本以上買わないようにして、お金をなるべく使わないように生活。上野までは徒歩。赤坂見附も徒歩。下北沢も徒歩。黙々とトホホな日々。
すてきじゃないかと慰めても、黙々と過ぎてゆく日々は寂しさもあり。
歩きながら、歩きやめることなく、どこまでも歩き続けられたらどんなにか自由な歩き方ができるのだろうと想像しながら、家路を辿る。
待つ人のなき部屋には、お金もなく。ないことから自由になるか、ないから求めるか。
その中間にただよっていることの不安と混沌と空虚な気持ちを抱えながらだいたいの人も生きているのだろう。
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